カテゴリ
以前の記事
2012年 05月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2012年 05月 21日
本州の広い範囲で金環日食を観測することができるということで、多くの人がそのときを待っていたことだろう。
わたしはちょうど休日と重なり、伊那での観測が叶った。 朝5時半に眼を覚ますと、前夜の天気予報が見事に外れ、東に薄い雲が少しあるものの、ほとんど快晴。すでに太陽も森の上にあがっていた。陽射しが燦々と降り注ぐ。 さあ、これから金環日食だという直前の太陽に照らされた、蕗畑。 6時20分頃。太陽の右肩から少しずつ、欠けてきた。 半分ほど欠けたところで、あれあれと思っているうちに陽の光が薄くなる。すると、ぐんと気温が下がり、それまで森のあちらこちらから聞こえてきた鳥の声が次第に消えていく。 7時33分頃。完全に月の影が太陽の内側に入ると、森は薄暗く沈み、渡る風も、風の音も冬に逆戻りしたようだ。鳥や虫も動きを止め、静寂が訪れる。 崩れかけた蔵の土塀に、木漏れ日が太陽と月の影を映し出し、しばしのペイジェント。 <観測のために家人が作成した、即席ピンホール装置に映った像> <ちょっとわかりにくいが、太陽の形を投影する土塀> 観測用眼鏡から見える太陽は、細いリング状になり、美しい線を見せてくれた。 ここまででも十分に美しいのだが、太陽と月が交差地点を離れていくときがドラマティックだ。徐々に太陽が力を回復し、森が明るさを取り戻してくる。鳥が再び囀り始め、蝶が3頭、4頭(蝶はこう数えるのだそうです。知りませんでした。)と帰ってくる。 寒さにかじかんだ指先にも体温が戻り、吹く風が柔らかく感じられる。 再生。 9時少し前、月の影が完全に太陽から消え、元の丸に戻る頃には、陽射しは暖かく周囲を包んだ。枝先の葉の一枚一枚、でこぼこの土の表面、家の屋根にも窓にも、空を飛ぶ動物、地に足をつける動物にも、すべて等しく。 #
by mina_oya
| 2012-05-21 15:27
| la vie
2012年 03月 25日
久しぶりにパソコンを買い替えた。たぶん、8年ぶり。その間、一度OSを入れ替えてはいるが。
だいたい、わたしの仕事や生活でよく使うのは、WordやPower Point、Excel(といったって一覧表作る程度だが)くらいで、あとはiTunesや写真整理ソフト、インターネットやメールがさくさく動けばOK。 コンピュータに強くもないので、こまめなメンテナンスも苦手。そんなことで、コンピュータを変えることにあまり積極的ではなかったが、Intel MacでもないわがiMac。ソフトをダウンロードしようにもOSが対応しなくなってきた。よく使うキーは、印刷文字が消えてしまって、実質ブラインド状態。HDはパンパンで、ソフトの動きも遅い。だいたい職場と自宅でWordのヴァージョンが違うのがめんどう・・・。これは、さすがに買い替え時だとはだいぶ前から思っていた。思うだけは。 そうこうしているうちに、OSは近いうちにLionからMountain Lionに変わるなどという情報も入り、もうちょっと待とうかなどという気持ちにもなる。しかし、もうちょっともうちょっともキリがない。ある日ふと気づき、ぽちっとボタンを押して、あっさり購入した。 家人の勧めで、メモリを増設することにして、増設用のメモリもついでにぽち。ほどなくして到着したMacBook Proとメモリを家人に渡し、手術をしていただく。・・・ありがとうございます。 ということで、新しいmacからの初めての投稿。ちょっとだけだが、画面が広くなって、動きもさくさくと快適だ。しかし、メールや写真のデータを移すのに、ライブラリを隠してしまったり、同じ機能のフォルダーの名前を変えるのはやめてほしい!あっちからこっちへデータをそっくりそのまま移す人ばかりではないのだから。 またこれから長いおつきあいになりそうな1台。よろしくお願いします。 #
by mina_oya
| 2012-03-25 00:35
| la vie
2012年 03月 11日
金曜日の夜の中央高速道。3月というのにチェーン規制で大幅に時間が遅れ、深夜、伊那の家に着く。翌朝目が覚めると、家のまわりは一面の銀世界。まだ雪も降り続いていた。湿った春の雪。この冬はあまり帰ることができなかったので、これだけの雪も久しぶり。もう一度冬をやり直すようで、得をした気分だ。ひとしきり雪のなかで遊んだ1日。
そして、翌3月11日。快晴。雪もみるみるうちに融けてゆく。 この日を、その時間をどのように過ごすのか。わたしは谷を望むこの家で、静かに家人と過ごすことにする。 <家の前より。林の向こうに中央アルプスの前衛、将棋頭山> <車の轍にできた薄氷> 雪の下からは、福寿草の花が顔を出し、今にも咲きそうだ。もうすぐ、ふきのとうも柔らかな土を押し上げて、出てくるだろう。毎年繰り返される、この春の営みに感謝。 #
by mina_oya
| 2012-03-11 08:44
| la vie
2012年 02月 25日
作品の搬送の途中で立ち寄ることはあったものの、きちんと観ることを目的に倉敷に滞在するのは、何十年ぶりか。この間に、水路を中心とした街並は美観地区として整備され、お土産物屋や食事処が軒を連ねる。
倉敷紡績のお膝元として発展したこの町には、社長の大原孫三郎、そしてその後を継いだ總一郎の影が、今も街のあちらこちらに残る。国内外の近代から現代に至るすばらしいコレクションを有する大原美術館も、この親子によって基盤が形成されたといっていいだろう。美術畑の人は、まずは美術にかける大原家の貢献の大きさに感心するものだが、今回、倉敷紡績記念館で倉紡の歴史ととともに、大原家の行った数々の事業を見て、美術部門がそのほんのごく一部であったことにあらためて気づかされた。とくに、経営拡大だけでなく文化や教育、医療といった社会貢献にも眼を向け、成果を確実に残していることがすばらしい。そして、そのエスプリが凝縮されているスポットが、倉敷だといえそうだ。 <中央奥のベージュ色の建物が大原美術館本館。そこから手前の瓦屋根の建物も美術館の一部。> 今回は、大原美術館のコレクションを、本館、分館、工芸・東洋館、児島虎次郎記念館と観てまわった後、特別に企画されていたワークショップに参加させていただいた。それは、普段は非公開の児島虎次郎のアトリエと住居「無為村荘」の見学会。児島は洋画家として大原孫三郎の庇護を受け、孫三郎の求めに応じてヨーロッパで美術品を選定、蒐集した人物である。その児島の創作活動を助けるべく、孫三郎は倉敷から3キロほど離れた高梁川沿いに住居とアトリエを提供するのだが、そこはもともとは大原美術館も建設する計画もあったというほどの広い敷地だ。 この敷地には住居、アトリエの他にもいくつかの建築物が建てられたが、児島自身は建築家としての素養があったわけではなかった。孫三郎と児島のあいだに入って建築設計に携わったのが薬師寺主計(やくしじかずえ)。この薬師寺に支えられながら、児島の意を自由に盛り込んだ建物が完成した。それが、「無為堂」と名づけられた客人を迎え入れ、児島のアトリエや居室としても利用していたものだ。太い梁や柱に児島自身がさまざまな装飾を彫り込み、暖炉をしつらえ、窓枠や床、扉、ドアノブや小さなスイッチの形にまでこだわった建築は、同時代のモダニズム建築とはまったく異なっていて、とにかくおもしろい。 今回は、この無為村荘の建築を研究する建築史家の案内で、児島や薬師寺が抱いていた独特の建築観を教えていただくという、とても貴重な機会となった。 ちなみに、薬師寺は現在の大原美術館本館の設計者でもある。 もうひとり、大原家そして倉敷の街に欠かせない建築家を知った。今回の宿は倉敷国際ホテルに決めていたが、その理由は、このホテルが大原總一郎によって建てられ、ロビーには總一郎の発注で制作された棟方志功の壁画が設置されていること。1960年代の建築やインテリアをそのまま残した本館のデザインは、木やタイルの質感も重厚で趣きがある。設計は浦辺鎮太郎(うらべしずたろう)という人物で、彼は倉敷レイヨン(現クラレ)の社員として社内の建築に携わった後に、建築家として独立。倉敷国際ホテルのほか、大原美術館分館、アイビースクエアといった倉敷の街並に欠かせない建築物を次々と手がけている。関東では、日本女子大学成瀬記念館、神奈川近代文学館も彼の設計によるものと知ったのは、旅から帰ってのこと。 ホテルとしても細かなところまで神経がゆきとどいていて、とても記持ちがよかった。 大原家の周囲を彩った才能ある人々の活動の一端を、あらためて学ぶ旅となった。 #
by mina_oya
| 2012-02-25 14:50
| voyage
2012年 01月 01日
クリスマスから1週間の後、新年を迎える。わたしにとっては、クリスマスは日常を少し変えてくれる新しい行事だが、正月は自分のなかにある基本をひとつひとつ確認するような作業。違う家庭で育った人と新年を一緒に過ごすようになってからだいぶ経つが、いまだに家人はおせち料理に寄せるわたしの些細なこだわりを見つけては、驚くようだ。 たとえば、雑煮。出汁は鶏がら。鳴戸巻きは必須。青物は小松菜。お椀ではなくお茶碗でいただく。青のりをかける。 豆は最低でも1種類は煮る。 煮物のこんにゃくは、真ん中に穴をあけてくるりとひっくり返した形。 今年は八ツ頭ではなく里芋の煮物になってしまったのは残念。昆布を煮るのを忘れた。栗きんとんにはいつトライできることか。 それでも実家ではやったことがなかったことも、少しずつ入り込んでいる。 今年は、たたき牛蒡、くるみ餡餅。ほんとうにわずかだが。 今回はストーブの上でじっくりつくった「ごまめの歯ぎしり」。わたしにしては会心の出来だ。 家人のほうはというと、まったくこだわりがなく、出したものを「おいしいおいしい」と言って喜んで食べてくれるので、争いにならずに済んでいる。ありがたい。家人は今年は東坡肉を作りたくなったようで、年末の我が家は八角の香りが充満。これはこれでなかなかよい。 おせち料理を食べるのは、31日の夜からせいぜい2日の朝までなので、そんなにたくさんの量は要らないのに、ついつい作りすぎてしまう。 #
by mina_oya
| 2012-01-01 14:02
| la vie
|
ファン申請 |
||